世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

最果ての玄関口から

 この間まで梅雨のどんよりした天気だった東海地方もいつの間にか40度近い気温を叩き出すようになってきた。

いつの間にか夏はやってきていて、つまり、夏休みの旅が近づいてきた。働き始めると毎日があっという間で準備をする時間も十分に取れない出発まで数日になってしまった。

まぁ何とかなるだろう、と財布と旅券とスマホだけかばんに突っ込んでのんびりしている。

 

この夏、私は北海道の北にある島、樺太へ行ってくる。

4年前、私が初めて旅券を携えて旅をした場所だ。

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当時はまだ右も左もわからなかった。ロシア語だって殆ど喋れなかったし、

外国での過ごし方、というのがわからなかった。SIMフリーのスマホは持っていなかったし、クレジットカードだってキャッシング付きは一枚しかなく、現金メインで、今思えば無謀なことに海外旅行保険すら入ってなかった。

18きっぷで旅をする国内のような感覚でいた。それもそうだ、と思う、樺太は外国と言えど、かつては日本の領土だったし、北海道の隣で、当時、稚内からは定期船で結ばれていた。いわば陸続きの場所だったのだ。

 

幸運なことに、行きの船の桟敷で仲良くなったロシア人は日本好きの優しい人で、到着してから車で宿まで送ってもらったり、別の日には、その人の住んでいる真岡という街を車で案内してもらったりした。

船の中で、これからの行程を教えてもいいのだろうか、ずいぶんと迷ったものだが、宿が取れていないこともあって、私は彼に頼った。ずいぶんとリスキーだが、そうするしかなかった。幸運だった。

 

樺太(―サハリン)は、外国、というほどエキゾチックな場所ではなかった。

日本領時代の古い建物がソ連の無機質な住宅の中にひっそりと佇んでいて、町を抜け出すとすぐに原野になった。正直北海道の建物もカラフルだし、外国、というよりは開拓地が今はロシア領になっているという感じだった。

それでも、言葉の通じない場所で、買い物をするにも、バスに乗るにも苦労をする一週間を過ごした。何をするにも言葉の壁を感じて歯がゆかったし、悔しかった。楽しかったけれど。

 

日本に帰って来ると、その面白かった経験をもう一度してみたくて、少しだけロシア語を勉強してみた。幸い、翌夏にはモスクワに行く機会を得た。

ロシアについての興味は全くなかったし、樺太にしか興味が無いと言っても過言ではなかったのに。

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モスクワに着いてみると、ロシアは文化豊かな国だということが分かった。藝術、建築、文学、食事、何をとっても面白かった。モスクワ周辺を旅していても楽しくて仕方なかった。それから結局、ソ連構成国の内トルクメニスタン以外は訪れるほどソ連管内にのめりこんでしまった大学時代だったが、きっかけは樺太だった。

かつて日本の旅人たちは、敦賀からウラジオストクを、下関から朝鮮や大連を経てヨーロッパへ向かったという。私はそれが樺太だった。

 

樺太という玄関を出てから、もう四年になる。

何度も再訪したいと思っていたがずいぶん時間がたってしまった。

今度、樺太を訪れたら、どんなことを感じるのだろうか。あの時のように興奮するのだろうか、それともがっかりしてしまうだろうか。

 

飛行機がユジノサハリンスク(豊原)に着くのが楽しみで仕方がない。

 

 

【樺太旅行記(H.27)】

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