世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

樺太旅⑦*真岡(ホルムスク)*

【2015-8/17】
ポロナイスクからは寝台列車のクーペに乗ってユジノサハリンスクへ。
この日は下段寝台でした。
23:33にポロナイスクを出てからすぐに就寝。
ぐっすり眠るはずが朝五時ごろに同室の子供たちに起こされる。
 
お母さんと子供2人だったんですが全く配慮しない。やかましくて目が覚めてしまいました。
 
着くとすぐにホームから駅の外へ。
警官たちがホームに目を光らせていて撮影はあきらめる。
ロシア本土では撮影に関してとやかく言われないが、
なぜかサハリンでは叱られてしまう模様。
ロシア語わからないし怖いのでチャレンジはしない。
 
ホルムスクで警官に職質されてカメラまで確認されて警察署に連行されたとかいう話をどこかのブログで読んだことがありましたし。
 
そして、7:15発のバスでホルムスクへ。
山岳地帯を横断し、2時間くらいで到着。確か350pくらいでしたかね。
ホルムスクのバスターミナルに最初の船で仲良くなったロシア人に迎えに来てもらい、その方のお宅へ。
途中、奉安殿に。どうやら今後博物館で保存していくのだとか。
日本だともうほとんど残っていない?ので
こうして樺太で今まで残っているのはありがたいことです。
実際初めて樺太で本物を見ました。70年たっても完全に朽ち果てていないのは、
さすがに手を抜かず作っていたからでしょうね。
深い礼をしました。
 
その方のお宅付近からの景色。
 
 







ホルムスクが一望できました。鉄道連絡船に乗るであろう貨車も。
 
ホルムスクは坂の街ですね。ウラジオストックに似ていると言っていました。
その方、スラヴァはどうやら大の日本好きのようで、家の中にいくつもの日本土産があったり、百均で買ったというものがたくさんありました。
また樺太時代の薬の瓶だとか陶器だとか。
 
紅茶をいただいてから、ホルムスク-セーベルニィ(北真岡)駅へ。
いくつかの客車が止まっていました。中には戦車も。
日本だと線路に入ると怒られますが、ここはロシア。
何にも言われませんし、誰も気に留めません。
 
再び車に乗り込み、
 
着いたのは港。
鉄道連絡船が見えます。憩いの場のようで市民がくつろいでいました。
 
そして、一度行きたかった王子製紙真岡工場跡
ここも敷香にあったのと同じで、
最近まで稼働していたようですが、もう使われていない様子。
車で入りましたが、入り口付近のでは労働者たちがたくさんいて、
とても一人では入れない雰囲気。
 
ついてみると、大きな建物が!
日本に!樺太に!帰ってきました!
涙が出そうでした。ここは日本だったのです。真岡と言えば真岡郵便局の自決事件や熊笹峠の戦闘など悲しい歴史の多い街ですが、いまだに日本の遺産が残っていることに驚くとともに、樺太に触れられる気がしてうれしかったです。










 
ずっとこの建物の写真を撮っていました。
さすがに中には入ろうとは思いませんでしたが、塔のような造りはいまだにかっこいいですし、朽ち果てかけた今でもその立派さは伝わってきます。
そういえば、入り口付近にあった、廃車体なんでしょうかね。
多分鉄道だと思うんですが…
スラヴァにはなんであんなもん撮ってんだwと笑われました。
 
また別の方向からの様子。
 
途中単機の機関車が通過していくことも。
真岡の王子製紙を見物した後の話。
 
 
車で南の方にある駅?へ。
 
 
線路の中にヤギがいたり荒涼とした景色。
 
 

 
 
@南方向
@市街地方面を向いて
 
 
海を見れば、本土に向かう連絡船が出港していきました。
 
 
山の方を見ると、日本軍の防御施設跡が。
 
 
そして、スラヴァには樺太を探していることは伝えてあったので、
鎮魂の碑に連れて行ってもらいました。
 
どうやら平成7年に真岡町関係者によって建てられたそうです。
70年前の樺太で亡くなった方に手を合わせる。
 
ここを見た後、旧真岡神社跡に。
 
鳥居はなくとも、石段でかつて神社であったことがわかります。
 
上まで登れば、狛犬のいた台座があったり、観世音と書かれた台があったり。
神社本殿のあったところはサハリン船舶会社の本社となっていました。
日本人から見れば神社でもサハリン人から見ればただの階段か。
 
そしてもう昼は過ぎていたのですが、クシロという日本食レストランに。
 
寿司やパンケーキをご馳走になりました。
初めての海外寿司でしたがおいしかった。サハリン産のカニとか。
ちなみにホルムスクでは一番いいレストランのよう。
数日前にあったばかりなのにスラヴァには大変お世話になりました。
 
そしてノグリキに向かうスラヴァと家族とともに、ユジノサハリンスクへ。
 
途中熊笹峠の戦勝記念碑に。
 
かつての戦争で激戦地だったここ。日本は攻めるソ連に対して必死の抵抗をしたことでしょう。終戦後にも戦闘が行われていた樺太。ここで戦った兵士たちのおかげで今の日本があると言っても過言ではないでしょう。英霊達に感謝です。
 
 
ここで少し戦争の話をスラヴァとしていましたが、
「日本とロシアはかつて戦ったこともあったが、今では友達だ」と言われました。
私はこの言葉を聞いて、ああそうなんだな。日本人はロシアと聞くと戦争のイメージもあって恐れるけど、ロシア人はこう思っているんだなと納得しました。
そして、前にも聞いていましたが、サハリンにいるロシア人は、自分たちをロシア人だけど、そのなかでもサハリン人、アジア人だと思っている。そしてサハリンの自然を誇りに思い暮らしているのだとわかりました。
そんな話を聞いていると、「ここはもう樺太ではなく、サハリンになったんだ。70年たってサハリンになってしまったんだな」と思いました。日本から見れば白抜きの樺太でも、ロシア人にとっては自分たちのサハリンなのです。
この話ができただけでも樺太に来てよかったなと思えました。
 
車で走ること二時間弱。ユジノサハリンスクに着くと、駅前でスラヴァたちと別れました。サハリン航路で出会って以来、サハリン旅がうまく運んだのも彼のおかげでした。何も渡すものはありませんでしたが、象形文字の書かれているボールペンがあったのでそれを感謝のしるしに渡しました。
 
 


 
そしてその日から泊まるのは駅前のホテルモネロン。(翌朝撮影)
 
初日に泊まったユーラシアは、滞在登録のために旅券を一晩取られたので、外出すらままならなかったので今回はここ。(ここはコピーを取られただけ)
 
この旅二日目にフロントに直接行って、バストイレ共同部屋を1500/泊で二泊押さえました。ちなみにこのホテルWIFI付きでしたので久々にデータ通信ができて感動でした。
 
 



その日の夜は、駅から5
分から10分ほど歩いて、ベランダというカフェへ。
 
300pくらいで夕食を。
 
 
 
夜のユジノ市内。特に怖いことはなかったです。
サハリン人口48万のうち35千人ほどは朝鮮人が住んでいるので、
荷物を持っていなければ、現地人に見えるのもあるでしょう。
実際何度か声をかけられました。
 
 
疲れていたのでゆっくり寝ることに。
 
続く