世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

樺太旅*樺太(サハリン)への興味*

【2015-8/13】
 
遂に樺太へ行く日がやってきました。
なぜ私が樺太に興味を持っていたのかというと、よく自分でもわかりませんが、幼い時に見た地図帳の世界地図の北海道の北の細長い島の南半分が白色に抜かれていて、
日本ともロシアとも書かれていない。どうしてそんなわからないところがあるのだろうと思ったのがきっかけのようです。
 
しかし、進学するにつれて、やはり樺太は日本ではなくロシア連邦に属していて、サハリンと呼ばれていると知り、あまり教科書でも記述されておらず空白の場所のような感じがして俄然興味がわきました。かつては日本の内地であり、敗戦後の今ではロシアとなっていて、日本時代の鉄道を受けつぎ、今でも使っていたり、70年たった今でも日本時代の建物が残っていたりするというのですから、もう早く行ってみたくて仕方がありませんでした。さらに、今でも国際法上は、ロシアではないという見解なのですからその屈折された存在が私の心をくすぐりました。そのため、高校・浪人時代の寝れない夜によく樺太への生き方を調べていたものです(笑)
 
浪人の夏休みに稚内にやってきたときも、日本の果てまでは来たが、実はサハリン航路が樺太の大泊まで伸びていてまだ北へ行ける!と思い、いつか北の果てノグリキまで行ってみたい(サハリン鉄道最北端)と思っていて、サハリン航路の27年度での運航停止ニュースがあったことも受けて、大学一年生最初の夏休みに実際に樺太へ行ってみることにしました。
 
ちなみに入学した学部には第二外国語の選択肢の一つにロシア語があり、4月から初 等ロシア語を勉強していたので、あいさつや数詞、簡単なロシア語動詞は話せるようになっていました。

http://www.souya.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/file/sakhalin_map_328.jpg

※ちなみに樺太・サハリンと二つの呼び方がありますが、このブログでは、
南樺太は日本政府の立場上、国際法上帰属未定の地という扱いになっているため、
樺太と呼んでいます。帝国書院の検定教科書の地図帳でも樺太(サハリン)表記となっていますし、各都市はユジノサハリンスク(豊原)のように日本領時代の地名と併記されています。
私の考え方としては樺太はまだロシアと国際条約が結ばれていないため、ロシア領として日本の立場から正当に、積極的に認めることはないという考えです。しかしながら実際はロシア領としてもう70年近く経っていて、実質的にはロシアの領土であり、日本のものではないという考えを持っています。
そして呼び方に関しても、樺太という呼び方を積極的にサハリンに変える必要もなく、北海道北方に位置する島は樺太だと思います。
東京は日本人や英語圏からはTOKYOですが中国語圏ではDong Dingですからね。
 
各都市のロシア/日本語の対照
ユジノサハリンスク/豊原(とよはら)
コルサコフ/大泊(おおどまり)
ホルムスク/真岡(まおか)
ポロナイスク/敷香(しすか)
ネべリスク/本斗(ほんと)
ドリンスク/落合(おちあい)
トマリ/泊居(とまりおる)
といった具合です。
 
ちなみに樺太へ行くためには旅券を申請したうえで
ロシア大使館に査証(ビザ)発給を申請。
このときオンラインでの事前申請、現地旅行会社からのバウチャー(招聘状)の添付が必要でした。ちなみ現地の宿は一泊目しか予約していませんでした。
 
そしてフェリー会社にサハリン航路の予約をした程度であまり準備には必要なものはありませんでした。
 
ただ、ロシア大使館は東京、大阪、新潟、札幌にしかないので、東京在住だったからよかったものの、東海地区に住んでいると、申請、受け取りの二回もいかなければならないので大変です。その点恵まれていました。
 
そんなこんなで7月初旬から査証等の準備をして
ロシアに入国、初の海外へ行くことになります。
 
言いわすれましたが初めての海外、初の外国、そして一人旅です。